中谷の歩み

中谷の歩み

◆中谷渡船がチヌ釣り筏をはじめたのが1960年頃です。
当初は若狭本郷で営業をはじめました。
その後に大飯原発ができ本郷に青戸大橋が築かれたのを期に
大島半島の浦底で新たに開業することになりました。

当時まだ小浜湾も舞鶴湾にも専用釣筏は無かったようです。
そもそもは若狭真珠の真珠筏でカセかけて釣りをさせたのがはじまり
ちなみに舞鶴吉田の古いカセは中谷のおやじさんと共同で鳥羽で作らせたそうです
底が抜けそうなカセは今でも残る貴重な歴史資料ですね

筏を始めた頃は 発砲スチロール何て便利なものは無かったのです。
ドラム缶に竹と材木をロープと針金で括り付けて 苦労して作ったのです。
その頃の船は焼き玉船(ポンポン船) おそ~い船で営業してました。
本郷から冠者島まで 1時間ほどかけて渡船しておりました。
今なら10分かからないのに! みんながの~んびりして良い時代でした。
お客さんも車で来られるのはまれで、国鉄(今はJR)で本郷駅まで来られていました。
もちろんこの辺に餌屋なんか無かった、町の餌屋に電話して電車に餌だけ乗せてもらい
本郷の駅で受け取ったのです。釣り師も苦労していたのですね
管理人記